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September 27, 2003

ねこねこ改造内閣

日本ねこ新聞 2003年9月27日朝刊

日本ねこねこ党の新総裁に選ばれたターミネーコーねこ島氏は第
2次改造内閣の顔ぶれを発表した。
今回の目玉となる人(猫)事は、前ねこ内閣官房長官だった岡野
ねこ山氏(福岡県選出・2回)を日本ねこねこ党の書記長に任命
したことだ。本来、公職である内閣官房長官のほうが任意団体で
ある党の書記長よりもランクや給料の面で上になるはずだが、戦
後日本のねこ界を牛耳ってきた日本ねこねこ党の書記長は総理大
臣に次ぐランクとみなされている。
まだ当選2回で閣僚経験もないねこ山氏の書記長就任にはその手
腕を疑問視する向きもあるが、本来作家であるねこ山氏は抜群の
知名度を誇っており、地元九州を中心におおむね行為的に捉えら
れている。
その他には、国防大臣として党内きってのタカ派と言われている
猫肌実氏(東京都選出・4回)と外務大臣に国際派として知られ
るネコルゴ13氏(佐賀県選出・3回)と従来の人(猫)事より
若返った人(猫)選が注目されている。
新内閣は翌28日に甲子園球場での認証式のあと、道頓堀にある
「かに道楽」で正式に就任式を行う。

投稿者 nekoyama : 09:22 PM

September 14, 2003

ニャトリックス

やあ、僕ねこ山。
この間、僕は偶然ある恐ろしい事実を知ってしまった。その事実と
は我々が真実と思っているこの世界が実は仮想世界だったというこ
とだ。そしてこの仮想世界は「ニャトリックス」と呼ばれているら
しい。

ニャトリックス。
それはねこが作り出した仮想現実であり、全ての生き物はそこが本
当の世界だと思わされ暮らしている。ニャトリックスの中では人間
が食物連鎖の頂点に立ち、人間以外の生き物を搾取している。しか
し、真実の世界においては、ねこが世界を支配し、その他の動物は
全てねこたちのためにのみ存在を許されているのだ。

ニャトリックスではねこは人間のペットとして家の中で飼われてい
たり、またノラとして公園や神社で生活をしているが、真実の世界
では、家の中の支配者はねこであり、人間はねこのために働いて金
を稼ぎ、その金でキャットフードをねこに献上しているのである。

家の中で飼われている(ふりをしている)ねこたちは、人間たちが
働きに出かけている間冷房あるいは暖房の効いた快適な空間で昼寝
をしたり窓から外の風景を優雅に眺めたりあるいは家の柱で爪をバ
リバリ研いだりしているのである。これはねこを飼っている家にお
いてはよく見られる光景であるが、実は人間たちは巧妙にねこたち
に支配されているのである。

例えばよくねこがたんすの上や冷蔵庫の上など高いところに登って
いるがあれは決してねこが人間に邪魔されない空間を見つけてそこ
に隠れているのではなく、実は人間たちがまじめにねこのために働
いているかを監視しているのである。そして、よくねこは人間の足
にすりすりしてくるが、あの行為も実は自分たちが人間たちに飼わ
れていると思いこませる巧妙な演技なのである。

また、公園や神社は実は人間のためのものではなく、ねこが人間の
意識に働きかけてねこたちのために居心地のよい空間を人工的に作
らせたものである。そしてそこでねこたちは日がな一日寝てみたり、
えさをもらってみたり、う○こをしてみたりはたまたけんかをして
みたり勝手気ままに過ごしているのである。

仮想世界ニャトリックス。
我々が現実の世界だと思いこんでいるこの世界が実はねこたちが作
り出した仮想現実だとしても、人間もねこもこの世界でお互いハッ
ピーに生活しているならばそれはそれでいいと僕は思う。

投稿者 nekoyama : 09:19 PM

September 07, 2003

近未来小説「ドラエモソ」

やあ、僕ねこ山。
イゾノ家のタマの紹介で今度は東京にあるノピ家に派遣されるこ
とになった。ここでもイゾノ家に劣らず凄まじい人間模様が繰り
返されているのでそれを中心に報告することにする。
なお、イゾノ家のその後も追って報告するつもりである。

今日もノピ家のノピ太は学校でジャイアソとズネオにいじめられ
て泣きながら家に帰ってきた。
「うえーん!ジャイアソとズネオが僕のことをいじめるよー!」
ノピ太は一目散に2階にある自分の部屋に走って生き、部家に引
きこもって泣きじゃくっていた。そのときである。ノピ太の勉強
机の引出しからずんぐりとした2頭身の物体が顔を出した。
「やあ、ぼくドラエモソ。2200年の未来からノピ太君を救うため
にやってきたんだ。」
「えっ?ドラエモン?マンガでは読んだことはあるけど本当にい
たなんて。ようし、これで僕も奴らに一泡ふかせてやれるぞ!」と
意気込むノピ太。
「ああ、僕がそのドラエモソさ。まあまあまあ、とりあえず一服さ
せてもらおうかな。」と言ってドラエモソは懐からタバコを取り出し、
火を着けた。
「ふうー、やっぱりドラ焼の後の一服はこたえられないね。」とドラ
エモソは鼻からタバコの煙を吐き出しながら言った。「灰皿は?」と
ドラエモソ。
「あっ、そ、そうだったね。気がつかなかったよ。すぐに持ってくる
からね。」と言ってノピ太は1階に下りて行った。「なんかイメージと
ちょっと違うなあ。まあ、でもいいか。これでこの世は僕の思いのま
まだぞ。」とノピ太はひとりほくそえんだ。
「これでいいかい?」とノピ太はパパの灰皿をドラエモソの前に置い
た。
「うん、まあ、これでいいよ。ところでお茶は?」とドラエモソ。
「えっ、お茶?」とノピ太は驚いて聞き返した。
「あたりまえじゃないか。僕は君を救うためにはるばる2200年の未
来からやってきたんだよ。お茶を出すっていうのは奉って納めると書
いて奉納の精神じゃないか。日本人として最低のマナーだろ?」とド
ラエモソは、んふーと鼻からタバコの煙を吐き出しながらノピ太を
見下すような目つきで眺めた。
「そ、そうだよね。ごめんよ、ドラエモン。すぐに沸かしてくるよ。」
と言ってノピ太はまた1階に駆け下りて言った。「なんかマンガと違
ってとっつきにくいなあ。まあでもすぐに僕の言いなりになって色ん
な道具で僕の野望をかなえてくれるはずさ。」
「これでいいかい?」とお茶をドラエモソの前に出すノピ太。
「ああ、まあこんなもんだね。」とドラエモソはお茶をずずっと飲んだ。
「さあ、お茶も飲んだし一眠りするかな。」と言ってドラエモソは畳の
上にゴロリと横になった。
「あ、あのさ、ドラエモン。ジャイアソとズネオをやっつけに行かない
のかい?マンガみたいに?」とおそるおそるノピ太がドラエモソに尋ね
る。
「ん?うん、後からにしてくれよ。昨晩飲み過ぎてきついんだよ。ちょっ
と寝るから。あ、それと晩御飯は7時ぐらいでよろしく。」と言ってドラ
エモソはすぐにフゴー、フゴーと寝息を立て始めた。

2200年の未来からノピ家にやってきたねこ型ロボット・ドラエモソ。彼
の活動初日はこのようにして暮れていった。

つづく。

投稿者 nekoyama : 09:19 PM

September 01, 2003

不適切表現

僕は諸君のために歌おうとしている。少しは調子が外れるかもしれない
が、とにかく歌うつもりだ。諸君が泣き言を言っている間に僕は歌う。
諸君の汚らしい死骸の上で踊ってやる。(ヘンリー・ミラー:「北回帰線」)

やあ、僕ねこ山。

「ねこ山日記」の読者からたまに「その表現は不適切である」旨の指摘
を受ける。今回はいわゆる「不適切な表現」について考えてみたい。

努力次第で変えることのできないいわゆる先天的な特徴を指してそれを
差別の対象とするような表現はそれを言われた人(あるいは猫)の感情
を考えるとそういう表現は規制されてしかるべきだと思う。これはその
「言葉自体」の問題であり、ほとんどの人(あるいは猫)が納得する落
としどころが存在する。

ところが、自分が不快だと思うという理由だけで「その表現は不適切で
ある」と考える人(あるいは猫)が多いのだ。いわゆる「不適切な表現」
が出来上がる「プロセス」に目を向けて見るとそれがかなり理不尽である
ことがよくある。

不適切な表現の出来上がるプロセスはおよそ以下の通りであると考えられる。

1. ある表現が発せられる。
2. その表現に対して気分を害する人(あるいは猫)が出てくる。
3. 気分を害した人(あるいは猫)がその表現は不適切であると表明する。
4. 犬公園に犬が来る。
5. その表現が「差別的表現」として規制される。

問題は2および3の部分であるが、ある表現に対して気分を害する人(あ
るいは猫)は一体社会の何%ぐらいなのか?ということの検証がすっぽり
抜け落ちているのだ。厳密に調査をすることは不可能にしても、統計をと
ることで近似値ぐらいは計算できるはずだ。そしてほとんどの人(あるい
は猫)がその表現を不適切であると考えていなければそれは不適切ではな
いのではないか。

およそどのような表現にも、それが不適切であると考える人(あるいは
猫)は必ず存在する。その言い方をすることで怒る人(あるいは猫)も
いるよということだ。しかし、逆を言えばその言い方に対して何とも思
わない人(あるいは猫)もいるということだ。そしてそういう人(ある
いは猫)たちにしてみれば、「なんで不適切とか言って排除するんだ」と
考えるはずである。「俺達はその表現をもっと楽しみたいぞ。」と。ある
表現が不適切であるからといって全て規制してしまえば当然言語はすぐ
にその機能を失ってしまう。

数年前に桃○かおりが「世の中バカが多くて困るのよね。」と言うCMが
あったが、すぐに視聴者のクレームでテレビでは流れなくなってしまった。
あれはメーカーにかけられたたった数本の電話が原因だといわれている。
この話の真偽は別として、「不適切な表現」ができあがるプロセスはおよそ
こんなもんだと思う。早い話がその過程がひどく民主主義的ではないわけ
だ。わが国は戦後より民主主義を是とした国づくりを行ってきたが、その
裏ではこのようなポジとネガが反転した民主主義的な意思決定プロセスが
暗躍しているのだ。

本当に検証すべきことはある表現が不適切であるいうことが社会の最大
公約数的な認識であるのかどうかということだ。そして本当に大多数の
ひとが不快に感じれば規制すべきだし、そうでなければ無視すればいい
だけの話である。それを自分が気に入らないという理由でその表現を排
除する行為は差別的表現以上に差別的である。そういった、民主主義的
プロセスを経ない規制は言論統制であって、これは表現に携わる者とし
ては看過できない問題である。

にゃんにゃん。

投稿者 nekoyama : 09:18 PM