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September 01, 2003

不適切表現

僕は諸君のために歌おうとしている。少しは調子が外れるかもしれない
が、とにかく歌うつもりだ。諸君が泣き言を言っている間に僕は歌う。
諸君の汚らしい死骸の上で踊ってやる。(ヘンリー・ミラー:「北回帰線」)

やあ、僕ねこ山。

「ねこ山日記」の読者からたまに「その表現は不適切である」旨の指摘
を受ける。今回はいわゆる「不適切な表現」について考えてみたい。

努力次第で変えることのできないいわゆる先天的な特徴を指してそれを
差別の対象とするような表現はそれを言われた人(あるいは猫)の感情
を考えるとそういう表現は規制されてしかるべきだと思う。これはその
「言葉自体」の問題であり、ほとんどの人(あるいは猫)が納得する落
としどころが存在する。

ところが、自分が不快だと思うという理由だけで「その表現は不適切で
ある」と考える人(あるいは猫)が多いのだ。いわゆる「不適切な表現」
が出来上がる「プロセス」に目を向けて見るとそれがかなり理不尽である
ことがよくある。

不適切な表現の出来上がるプロセスはおよそ以下の通りであると考えられる。

1. ある表現が発せられる。
2. その表現に対して気分を害する人(あるいは猫)が出てくる。
3. 気分を害した人(あるいは猫)がその表現は不適切であると表明する。
4. 犬公園に犬が来る。
5. その表現が「差別的表現」として規制される。

問題は2および3の部分であるが、ある表現に対して気分を害する人(あ
るいは猫)は一体社会の何%ぐらいなのか?ということの検証がすっぽり
抜け落ちているのだ。厳密に調査をすることは不可能にしても、統計をと
ることで近似値ぐらいは計算できるはずだ。そしてほとんどの人(あるい
は猫)がその表現を不適切であると考えていなければそれは不適切ではな
いのではないか。

およそどのような表現にも、それが不適切であると考える人(あるいは
猫)は必ず存在する。その言い方をすることで怒る人(あるいは猫)も
いるよということだ。しかし、逆を言えばその言い方に対して何とも思
わない人(あるいは猫)もいるということだ。そしてそういう人(ある
いは猫)たちにしてみれば、「なんで不適切とか言って排除するんだ」と
考えるはずである。「俺達はその表現をもっと楽しみたいぞ。」と。ある
表現が不適切であるからといって全て規制してしまえば当然言語はすぐ
にその機能を失ってしまう。

数年前に桃○かおりが「世の中バカが多くて困るのよね。」と言うCMが
あったが、すぐに視聴者のクレームでテレビでは流れなくなってしまった。
あれはメーカーにかけられたたった数本の電話が原因だといわれている。
この話の真偽は別として、「不適切な表現」ができあがるプロセスはおよそ
こんなもんだと思う。早い話がその過程がひどく民主主義的ではないわけ
だ。わが国は戦後より民主主義を是とした国づくりを行ってきたが、その
裏ではこのようなポジとネガが反転した民主主義的な意思決定プロセスが
暗躍しているのだ。

本当に検証すべきことはある表現が不適切であるいうことが社会の最大
公約数的な認識であるのかどうかということだ。そして本当に大多数の
ひとが不快に感じれば規制すべきだし、そうでなければ無視すればいい
だけの話である。それを自分が気に入らないという理由でその表現を排
除する行為は差別的表現以上に差別的である。そういった、民主主義的
プロセスを経ない規制は言論統制であって、これは表現に携わる者とし
ては看過できない問題である。

にゃんにゃん。

投稿者 nekoyama : September 1, 2003 09:18 PM